復興豆腐!マサキ食品千葉淳也さん豆腐移動販売
宮城県気仙沼市松崎高谷の豆腐店「マサキ食品」店主の千葉淳也さんが週3回ラッパを吹きながら豆腐の移動販売をしています。
東日本大震災の津波で自宅も店舗も流されてしまいましたが「おいしい豆腐をなじみの客に届けよう」と奮起!
「とうふ」のぼりを立てたリヤカーを引いて仮設住宅などを巡回しています。
移動販売は月、水、木曜日の夕方に近くの水梨小と面瀬中の仮設住宅や住宅密集地などで行っています。
「パ~プ~」、千葉さんがラッパを鳴らすと、財布を持った主婦らが次々と姿を見せます。
豆腐は1丁160円。
「手間暇かけてつくっているので、うまい」と豆腐店「マサキ食品」店主の千葉淳也さん。
国産大豆とにがりを使ったこだわりの逸品です。
30歳の時、12年間勤めた海上自衛隊を辞めて家業の豆腐屋を手伝うようになった。
2009年から新規顧客の開拓を目指してリヤカーとラッパによる引き売りを始めました。
地道な営業を続けてきたさなかに巨大津波がすべてをのみ込んでしまいました。
1カ月後、流された軽トラックから移動販売の相棒だったラッパが見つかりました。
泥だらけだが、洗えばちゃんと音が鳴りました。
「いつかまた豆腐を売り歩きたい」
ラッパとの再会が、事業再開の後押しになりました。
全国の同業者らの支援もあって昨年11月、内陸側の所有農地に店舗をオープン!
12月上旬から引き売りも再開しました。
震災前からの常連客の一人、水梨小仮設住宅に住む主婦小松隆子さんは「昔から食べていたなじみの味でもあり、ほかの店の商品は口に合わない。わざわざ引き売りに来てくれるので助かる」と話しました。
店に掲げる「復興豆腐」の巨大看板は、ホームページを見て活動を知った人たちの寄付で造られました。
オープン日には、全国の同業者が手伝いに駆けつけてくれました。
千葉淳也さんは「同じ業界の人々とのつながりが大きな財産。復興が進んで震災が過去のものになっても、『復興豆腐』という言葉はいつまでも残したい」と話してくれました。
東日本大震災の津波で自宅も店舗も流されてしまいましたが「おいしい豆腐をなじみの客に届けよう」と奮起!
「とうふ」のぼりを立てたリヤカーを引いて仮設住宅などを巡回しています。
移動販売は月、水、木曜日の夕方に近くの水梨小と面瀬中の仮設住宅や住宅密集地などで行っています。
「パ~プ~」、千葉さんがラッパを鳴らすと、財布を持った主婦らが次々と姿を見せます。
豆腐は1丁160円。
「手間暇かけてつくっているので、うまい」と豆腐店「マサキ食品」店主の千葉淳也さん。
国産大豆とにがりを使ったこだわりの逸品です。
30歳の時、12年間勤めた海上自衛隊を辞めて家業の豆腐屋を手伝うようになった。
2009年から新規顧客の開拓を目指してリヤカーとラッパによる引き売りを始めました。
地道な営業を続けてきたさなかに巨大津波がすべてをのみ込んでしまいました。
1カ月後、流された軽トラックから移動販売の相棒だったラッパが見つかりました。
泥だらけだが、洗えばちゃんと音が鳴りました。
「いつかまた豆腐を売り歩きたい」
ラッパとの再会が、事業再開の後押しになりました。
全国の同業者らの支援もあって昨年11月、内陸側の所有農地に店舗をオープン!
12月上旬から引き売りも再開しました。
震災前からの常連客の一人、水梨小仮設住宅に住む主婦小松隆子さんは「昔から食べていたなじみの味でもあり、ほかの店の商品は口に合わない。わざわざ引き売りに来てくれるので助かる」と話しました。
店に掲げる「復興豆腐」の巨大看板は、ホームページを見て活動を知った人たちの寄付で造られました。
オープン日には、全国の同業者が手伝いに駆けつけてくれました。
千葉淳也さんは「同じ業界の人々とのつながりが大きな財産。復興が進んで震災が過去のものになっても、『復興豆腐』という言葉はいつまでも残したい」と話してくれました。